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2006年 12月 23日
その後起こったことについて、かたるべき言葉を知らない。この思いは、年賀状にて表現します。それ以外にも、あまりにいろいろあったここ二ヶ月でありました。「禍福はあざなえる縄のごとし」とはよく言ったものです。 ◇ この一年、音楽面ではマーラーに明けマーラーに暮れた。もちろん自団の「マラ5」が主であるが、もうひとつ、年明けに格闘していた「マラ1」に、ここにきてまた取り組んでいる。今年のヴァイオリンへの熱意の総量は、夏から秋にかけての一大事ゆえ去年や一昨年の水準には及ばなかったが、それでも、一年ぶりに同じ曲に取り組みながら自らのほんの少しの進歩が感じられることは、わたしが今年生きたことがカタチとして残った数少ない中のひとつであり、うれしいことだ。 ◇ 最近また、あるオーケストラへの出演が決まった。そこの今回のプログラムで魅力的なのは、『ばらの騎士』組曲である。その原曲のオペラについて以前ここでも触れたが、この組曲にはその魅力が惜しむことなく満載されている。あのマルシャリンの円熟した息づかいが、驚くほどはちきれんばかりに溢れているのだ。 しかしそれより遥かに驚いたことがある。その練習に初めて出た翌日になんと、わたし自身がマルシャリンになってしまったのである。新ブログ『マルシャリンの日々』、近日、友人限定で公開します。 追記:「マルシャリン」でgoogle検索したら2番目にこのブログの過去ログが………苦笑。さらには1番目に出てくるページの時代考証。マリア=テレジアとメッテルニヒって、同時代の人だったんですね。 2006年 10月 21日
話題が偏っている感があるが、もちろん、仕事も音楽も、佳境を迎えている。 ■ 所属オケ、パート出演者がようやく固まる。厳しい条件を要求したのに、よく集まった。曲の魅力ゆえであろう。この方法は次回以降も踏襲したい。肝心の演奏レヴェルはいっこうに上がらないが、これからが勝負である。ヴァイオリンパートの新入団員、今期は5人。うれしい。 ■ K先生レッスン、メンデルスゾーンに突入。合奏団の友人が先生と同じ楽団の奏者に同曲を見てもらった際の、あまりの厳しさを聞いていたので、戦々恐々。やはりわたしも初回、「何がやりたいのかまるでわからない」という厳しいお言葉を頂戴した。なかなか時間がとれず月1回のレッスンがとりあえず精一杯であるが、来年夏くらいまで、この全楽章と真正面から取り組んでいこうという展望がひらけた。 ■ 来月から3ヶ月間に数度、A先生レッスン。今回は、クロイツェルとローデ、そしてカール・フレッシュを中心に、みっちり基礎を見てもらう予定。曲はとりあえず無伴奏パルティータ3番のプレリュードだが、その後どう進むかが問題。 ■ 14日夜に学生オケの本番を終えた。プレーオフと日程が重なったゆえ受けたことを少々悔やんだのだが、ファイターズ連勝で12日に優勝決定したので杞憂だった。プロコフィエフ『シンデレラ組曲』は掴み所のない音楽と感じ、理解するのに時間がかかった。今年の学生たちはとりわけ一生懸命と感じ、パワーを受け取った。次回は『マラ1』、わたしがここに初めて出演した2004年4月に入学した学生たちの引退演奏会でもある。これをもってわたしも卒業としようか。 ■ 社会人オケで、念願の『ばらの騎士組曲』と『エロイカ』。いずれも初体験。とりわけ前者はマルシャリンとオクタヴィアンの性愛行為から始まる濃厚な音楽、面白いかぎり。今回は早めに練習に出たい。 ■ 今年もまた、弦楽器フェアがはじまる。尊敬するドイツ・ヴァイオリン製作マイスター、Sさん(有名なインターネット・サイトを持っていらっしゃる方とは別人です)から招待券を頂く。ありがたい限り。3日と4日に顔を出すつもりでいますので、わたしと会いたい方はぜひ来てください。(←何様) ■ そのSさんに、愛器の調整を久しぶりにして頂いた。鋭い音になって楽器本来の持ち味が最大限に生かされた感があり、「Sさんマジック」を2年ぶりに満喫。いっぽう、前回知人の紹介で見て頂いたGさんのときに比べ、倍音成分(Gさんはここを重視する)が若干減ったため、調弦のときの感覚が変わった。おふたりとも世界でも最高の水準であろう職人さんたちであるが、今後はずっと、製作者の一番弟子であるGoldfussが創設した工房で勤務していたSさんに、すべてをゆだねるつもりである。 ■ 楽器そのものにマニアックな関心を抱かなくなった。「楽器(または弓)をためしてやろう」という不遜な気持ちがほんの少しでも存在するあいだは音楽的な演奏が少しも出来ない、というしごく当然のことに、遅ればせながら気づいて以来である。かつて、自然を満喫するサイクル・ツーリングにおいてメカ・マニアにならないように自重したときのプロセスと、共通点が非常に多い。 2006年 10月 08日
その後連勝し、劣勢から一転無事1位通過。金村の件は、むしろプラスにはたらいたようである。 さて、プレーオフはホークスが勝って1勝1敗となった。いまは「流れからホークスが有利だ」という声がもっぱらのようで、さらには西口や涌井を出さなかった伊東監督の采配に疑問の声が挙がっている。 とんでもない話だ。まだまだライオンズが圧倒的に有利である。今日仮に落としても最終戦を確実に取ることを、最初から優先していたのだ。いわば計画どおりである。「捨てゲームを敢えて作る」この戦術が、入団したときの監督であった広岡達朗に学んだものであることは疑いない。しかし、これを3戦制の今回において応用するとは、彼もただものではない。 わたしは2年前、今後数年のパ・リーグは西武を軸に展開するだろう、と書いた。若く活きのいい選手の台頭はもちろんだが、何よりも伊東監督の采配の妙ゆえの予想だった。そして今年も、彼が優勝のための戦い方を熟知していることをシーズン中に思い知らされたが、ポストシーズンでもまた、うならされる。もっとも、大黒柱が今年で最後の模様なので、ライオンズの輝きは今年で終わるかもしれないが。 さらには松中の涙。今まで打てなかったことが悔しかったことは痛いほど伝わってくるが、流すタイミングが違う。彼が将の器といえないことを、あらためて思い知らされる。一昨年日本シリーズでの落合監督を想起した人は多いはずだ。 ただし、こうやって三戦目まで両チームが投手をつぎ込むことが、そのぶんファイターズに有利にはたらくことは間違いない。伊東監督は今日「次は総力戦」とコメントしているが、これはどういうことであろう。特に無理して投手を使わなくても、西口の経験を以ってすれば勝てるはずである。もしかしたら伊東に焦りが生じているのだろうか。だとしたらホークスに勝機があるし、またファイターズにとっても好材料である。 2006年 09月 24日
絶対許さないだと?ファンがおまえを絶対許さない。この大切なときに、自分の成績を考えてこの発言か。あまりの情けなさに、体が震えて止まらない。 いっぽう、共同通信によるこのタイミングでの配信というのが、あまりに匂うと感じるのはわたしだけだろうか。1994年、日本シリーズ中に「森監督辞任」を流したのもこの通信社であった。この配信は「読売新聞ニュース」として日本シリーズ第6戦試合前東京ドームのオーロラ・ヴィジョンに繰り返し流されたが、共同通信社の配信を受けて記事にしているのが、いまのところ読売系スポーツ紙だけというのもまた、あの時と共通している。いったい、いかなる力がはたらいたのだろうか。 それはともかく、このレヴェルのものはきわめて珍しいにしても、この手の、自らの「立ち位置」を見誤っての勘違いは人の世にままみられることである。人間の「エゴ」に由来する、宿命的なものであるともいえなくもない。しかし想像力によって自己回避が可能なことであり、これほど簡単に信頼を失う、というより失笑を買う言動もこの世にない。率直に、非常に見苦しい。わたし自身、日々気をつけないといけないという自戒の念もまた、禁じえないでいる。 追記: しばらく静観していた、ファイターズに好意的な朝日もサンスポ、スポニチ、毎日に続き記事に。 金村よ、もしかしたら明日はスポーツ紙一面かい?これほど注目されるのは、生まれて初めてだな。その後の対応に、日本じゅうが注目しているぞ。 さらに追記: あら、ここやここにまで。この反響の大きさ、1981年夏の江本を彷彿させます。 2006年 09月 21日
もはや、この名前を聞くだけで泣けてくる。 はからずも彼は言う。「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、 生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。」 それを言葉ではなく、それをプレイで、カラダで示しているのだから、彼ほど人を「豊かにする」存在はないだろう。理屈をこねることは得意だが、世を明るく、豊かにすることには少しも寄与しない政治家・教員・学者・芸術家どもは、彼のツメの垢でもどこの垢でもよいから、煎じて飲むべきである。 少し前のものではあるが、このシーン、そしてセリフに泣かない人があろうか。泣かない人がいたとしたら、その人の心は空洞である。 2006年 09月 20日
いくら音楽が感動を与えるといっても、スポーツがもたらすそれには及ばない。秋になって、あらためてそのことを思い出させてくれたわがファイターズに感謝したい。 今朝のスポーツ報知の一面にびっくり仰天。この新聞がその存在意義とするところの宣伝対象は昨日、主砲の満塁本塁打によって勝利している。この事実をさしおいてこれを顔に持ってきたということは、いまやファイターズがマーケット的にも高い価値が存在していることを物語ってやまない。 その上をいくのがこの新聞である。過去8日のうち6日がこのチームがらみの一面である。この新聞がファイターズに好意的なのは東映と朝日新聞の資本関係に由来するのだが、それを差し引いても、もはやこの頻度は尋常ではない。 いったい、これはどうしたことだろう。ただただ、面食らうばかりである。たとえば昭和57年、江夏や工藤幹夫を擁し西武ライオンズと優勝を争い惜敗した年のファイターズの魅力はけっして現在に劣るものではなかった。しかしシーズン中にこのチームがスポーツ紙の一面を飾ったのは、終盤になって工藤幹夫が小指を骨折したときが初めてだったのである。 この現象は客席にも、はっきりとあらわれている。昭和57年、西武球場におけるライオンズとのプレーオフ、客席は95%がライオンズファンであった。しかし、今年は同じ球場(もっとも醜悪な屋根が被さってはいるけれども)の同じカードにおいて、じつに4割がファイターズであった。 これはファンとして、おおいに喜ぶべきことである。古くからのファンのなかには、「にわかファン」を貶す向きがあるようだが、これは間違っている。どんな世界でも、いわゆる「にわかファン」「ミーハー」の存在ほど、その存続のために大切にするべきものはないのだ。 これはたとえばクラシック音楽においても同じである。コテコテの好事家…数でいうと人口の1%ほどにすぎぬ…は、演奏の「高度な」レヴェルを求めるあまり、その「ミーハー化」「大衆化」を忌み嫌う傾向があるが、彼らはクラシック音楽を死に向かわせている。クラシック音楽の将来にとってもっとも重要なのは、残りの99パーセントの人口のうちどれくらい多くの層に浸透し、結果としていかにクラシック音楽のCDや関係の書籍が売れ、関連番組の視聴率が上昇するかなのだから。 話が横道に逸れた。ファイターズ人気には、ひとつの大きな功績があると感じている。それは野球が「地域密着」型のスタイルに向かうのに先鞭をつけた、ないし拍車をかけたことである。その後東北に新しい球団ができ、そして東京のチームもその名に「東京」を冠し、地域密着を目指すようになった。これはスポーツが市民の魂に迫ってくるものに、すなわち心を豊かにすることのできる「文化」と呼べるものになるのに、おおいに寄与している。 そしてそれが結果として、マーケットとしての成功にもつながっているのである。確かにテレビの視聴率はかつてほどではない。ただし球場に足を運ぶ人は著しく増えている。いちど運んだ人は、また足を運ぶ。これが成功の要因である。結果として、選手たちのプレイを目に焼きつけることによって、そして圧倒的な「場」のパワーをカラダで感じることによって、自らの魂を「培い豊かにする」(culture, Kulturの語源である)機会を市民が得る度合いが、著しく増大しているのだ。 文化の権化ともいうべき存在を応援していることに、誇りを感じる。このまま、勝ち進んでほしい。 2006年 09月 03日
パソコンを自作した。いままで使っていたのは6年前にやはり自作したもので、AMD-K6・500MHzというシロモノ。さすがにこれでは非力ゆえ2004年春に部品一式を購入していたのだが、2年半にわたり放置されていた。時代遅れのマシンでも、ほとんど不自由がなかったのだ。 しかしひとつだけ問題だったのが、いつのまにかネット上に氾濫するようになった「動画」の再生が、プツプツ途切れがちであったこと。新しいメカが完成してさっそくしたことはもちろん、その「動画」たちをあらためて見ることであった。 なんといっても、まずはこれ。この世に生を受けてよかったと実感させてくれる凄絶。これよりすばらしい歌唱・演唱が、果たしてこの世に存在するだろうか? なお、タイトルにあるFrosch(=蛙)はDie Frau ohne Schatten(=影のない女)の俗称である。わたしは同じ歌手の同じ役(染物屋の妻…ドイツ語圏ではFärberinと略記されるが正しくないのではないか?)を1992年に聞いたのだが、それより12年前のこの歌唱のほうがはるかに素晴らしい。歌手には「旬」というものがあることを痛感せざるを得ない。 ◇ ただし、新しいメカのおかげで今後いちばんうれしいのはじつは、最近あたりまえになりつつある野球の「ネット中継」をイライラせずに見られることかもしれない。 わたしの野球熱は日々高まる一方である。ここ一ヶ月あまりのあいだのスタジアム生観戦も、じつに9度。このページを以前からご覧くださっているありがたい方なら、なにゆえかわかっていただけるのではないだろうか。10月にかけてのわたしの熱狂度は、1981年・82年以来の水準となる。 スタジアムの風景が好きで、いまここで思い浮かべるだけでもワクワクしてしまう。わたしにとって重要なファクターは、まず一体感のある構造、すなわち単層の客席。ふたつめには、心地よい風。それには露天、少なくとも密閉ではないことが必要となる。そして、できることなら天然芝の美しさ。これは選手たちの一生懸命なプレイと、じつに調和し映えてみえる。最後にもうひとつ、もしかしたらじつは最も重要かもしれないのが、熱狂的な本拠地ファンの存在。 最後のひとつは性質が異なるからおいておくとして、最初の3条件を満たすプロ野球一軍の本拠地球場は、残念ながら関西以西に行かないと存在しない。ただ東日本においても、西武ドーム、千葉マリン、そして仙台のフルキャストは、それでもかなりいい水準であるといってよいのであるが。 さて、3条件をクリアする球場がそもそも首都圏に存在しないのかというと、それはとんでもない。二軍の本拠地球場は珠玉の宝庫である。真に高みにあるものはマーケットとほとんど関係ないところに存在しているのは、どの世界でも同じである。上の動画しかり。 マリーンズの浦和球場(わたしにとって、近くの沼影市民プールとのダブルヘッダーが格別である)もそのひとつであるが、ファイターズ二軍の本拠地・鎌ケ谷の心地よさは格別であり、8月はじめに初めてそれを知ったわたしは、結局この月のうちに3度足をはこんでしまった。そこではもちろん、「旬」を迎える一歩手前の選手たちの存在もまた、あまりに魅力的である。このレポートも、また追々。 2006年 08月 14日
わたしがクラシック音楽を聞くようになったのは、怪我のために部活をリタイアせざるを得なかった1982年の夏休みであった。暇つぶしにたまたま針を落としたシューベルトの『未完成』、そしてメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』の2曲から受けた心の底からの感動は、わたしの人生でも特別の出来事であった。 新学期がはじまってまもなく、学校の図書館にてクラシック音楽関係の文献を探した。そこにあった志鳥栄八郎や宇野功芳の本にて「ベーム」なる指揮者のレコードが推奨されているのを読み、この名前の英米風とは異なる響きに心惹かれるものがあったのを覚えている。「マッチ」に似せたパーマをかけた、テニスで挫折を味わったばかりの平凡な少年は、とりつかれたように遠い市街地にあったイトーヨーカ堂へと自転車を走らせた。それまで歌謡曲、今ふうに言えばJ-POPしかわたしの目に入らなかったそのレコード・コーナーの陳列棚に、お目当てのベーム指揮シューベルト『グレート』のレコードが当然のように置いてあったことは意外な驚きであった。当時のわたしには決意を要した二千円を投じて帰宅、ジャケット裏面の解説を読んではじめて、この指揮者がすでに前年8月14日に死去していたことを知った。 まもなくわたしは朝日新聞縮刷版、1981年8月の記事を探した。死亡記事はかなり大きなものであり、いかにこの指揮者が多大な尊敬を集めていたかを知った。ちょうどその頃出版されたばかりの真鍋圭子女史のベームに関する本を購入、新鮮な驚きとともに新しいことをたくさん知りながら夢中で読むいっぽう、店にあったベームのレコード、すなわちモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、リヒァルト・シュトラウスの管弦楽作品を買いあさっては聞くようになった。このときの方向性は、いまのわたしの嗜好と見事なほど同じであるし、研究対象、さらにはメシの種とも大きく重なる。進歩がないというべきか。 ◇ 1990年代のわたしは、ベームの真価がオペラにあるということを知るようになった。1991年はじめて渡欧し、ベームのオペラの録音(遅まきながら、ちょうどその頃CD化された)にて歌っていた歌手たちがまだまだ第一線で歌っているのを聞くことができたのは感動的であり、忘れえぬものであった。 しかしながら、この頃すでに、ベームはヨーロッパでは忘れられた存在であった。この年ベームの愛したモーツァルトの没後200年記念で沸くザルツブルク音楽祭でもウィーンでも、彼の名前に言及されるのを見ることは、ほとんどなかった。この年はベームの没後10周年の記念すべき年であったにもかかわらずである。(この項続く) ◇ わたしにとっての、ベーム・ベスト3。 1.ベートーヴェン/歌劇『フィデリオ』全曲 ドレスデン国立管弦楽団・合唱団 ジョーンズ(レオノーレ)、キング(フロレスタン)ほか、1969年録音(グラモフォン)。 2.ワーグナー/歌劇『さまよえるオランダ人』全曲 バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団 ジョーンズ(ゼンタ)、ステュアート(オランダ人)ほか、1971年ライヴ録音(グラモフォン)。 3.リヒァルト・シュトラウス/『サロメ』全曲 ハンブルク国立歌劇場管弦楽団 ジョーンズ(サロメ)、フィッシャー=ディースカウ(ヨハナーン)ほか、1970年ライヴ録音(グラモフォン)。 ![]() カール・ベームとギネス・ジョーンズ。1971年頃(と思われる)バイロイトにて。 (Foto aus: HABERFELD, Till: Gwyneth Jones, Atlantis Musicbuch-Verlag, Zuerich 1991, S.24) 2006年 08月 02日
■ 7月は仕事が繁忙期であるにもかかわらず、ふたつの本番。どちらも、残念ながら納得いく出来からは最も遠いもの。わたしは交響曲一曲をアンサンブル可能なレヴェルまで仕上げるのに、どんなに集中練習しても一ヶ月はかかる。この事実をまったく無視したスケジューリングを、曲の魅力に負けて設定してしまったゆえの、当然の結果であった。 ■ そのふたつめであった、日曜の演奏会。メイン・プログラムのラフマニノフに対し「冗長」「陳腐」という印象は最後までぬぐえなかったし、オーケストレーションについても、残念ながらさしてのものとは思えなかった。が、「曲が好きになりかけていたタイミングで本番を終えた」のは初めての経験であり、結果として、またやってみたいという思いの大きさは今まででも屈指という皮肉。 ■ その演奏会の前半プロ『四つの最後の歌』独唱の佐々木典子さん。当日の衣装が、ジャケット・ズボンなのにビックリ仰天。彼女は日本を代表するマルシャリンである(わたしも2003年夏の二期会公演を聞いた)が、オクタヴィアンの姿でその声質であるのに、なんともいえない混乱を覚えた。聞きに来てくれた某女性曰く「バックが女性ばかりだから空気を読んだのでは?」なるほど。にしても、違和感は拭い去れぬものがある。 ■ A先生レッスン、この夏もその滞日にあわせ4度スケジューリングされたが、それが昨日終了。今回は4回とも同じ楽団の若き団員とのダブルヘッダー・レッスンであり、お互いを聞きあった。わたしは若き吸収力に唸らされ、またわたし自身がかつて見てもらった練習曲や注意内容と相当かぶっていたのでおおいに復習になったし、いっぽう彼にしても先の内容を体験するという、いわばお互いにプラスになる形態であった。来週いちど、追加レッスンが決定。すでに資金は尽きているのを無理して工面。曲は引き続きバッハの無伴奏。ようやくパルティータの2番(除シャコンヌ)を終了、次の曲に入った。A先生レッスンでは今後も当分、『無伴奏』に専念するつもりである。来春に発表会の話も。 ■ 来週からはK先生のレッスンも再開。いまだ残っているブルッフの2楽章は夏のあいだに終わらせ、9月からメンデルスゾーンの見込み。これまた、期するところ大である。 ■ オケの練習日程設定に関する各方面との折衝、ここまでうまくいかないのは初めてで、ソワソワ、イライラする日々。ヴァイオリンの人集めは今回新しい形態にしてみたが、順調とは言いがたい。このブログを覗いてくださった方で、『マラ5』を弾いてみたいという方が万が一いらっしゃったら、ぜひご連絡ください。本番は2007年1月27日(土)夜@めぐろパーシモンです。 2006年 07月 24日
みなさんにお聞かせしたい、永遠の名演奏があります。 わたしたちがこの週末に演奏する曲です。 東京におけるコンサートのライヴ録音であるにもかかわらず、ついに日本国内盤としては発売されなかっただけでなく、店頭から消えて久しく、入手不能な録音であります。 とはいえ、世界中にさらすのもあんまりなので、アクセス制限をかけました。 こちらへお越しください。 ↑をクリックすると、ユーザー名とパスワードを求められます。 「ユーザー名」には、わたしの所属オーケストラの名称(英数文字9文字)を入力してください。 「パスワード」には、わたしの所属大学の名称(同6文字)を入力してください。 ヒント:両者は同じアルファベットで始まります。 わからない方は、メールにてお問い合わせください。 ◇ このすばらしい演奏会が行われた1991年4月29日は、まだわたしがオペラやこの歌手にそれほど興味がなかったので、迷った末、大菩薩峠へサイクル・ツーリングに出掛けました。今思うと痛恨ですが、これもまた人生というものでしょう。 |
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